tobisawa-life’s diary

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東京と北海道のお葬式の違い

実は私は今後厄です

 

今まで2度厄年がありましたが、前厄本厄後厄…特になにかあったことはありませんでした…

 

しかし、今回ばかりはかなり参ってしまいました💦

 

そんな日が来るとは思っていたのですが

なんと、3ヶ月で一気に身内を3人亡くすとは思いもしませんでした💦

 

3人のうち2人は父方の祖母と母方の祖母…つまりおばあちゃんを2人一気になくしたのです。

 

両親も、老衰なので仕方のないことだとはわかっていても、やはり親を亡くすというのは悲しいのでしょう…

 

とくに、母親は泣いていました…

 

今回は、一気におばあちゃんのお葬式を2つ執り行い、地域ごとの違いを改めて感じたので

ご紹介しようと思います。

 

なお、二人共90歳を過ぎていたので

悲しい…というよりは、送り出すという感じだったので

重く受け止めないでいただいて大丈夫です☺

 

最後の場所は…

父方の祖母(東京)

父方の祖母は、途中まで東京で一人暮らしでした。

 

80歳を過ぎたあたりから認知症が進んだため、老人ホームへお世話になっており

最後のときは、老人ホームでそのまま天国へ旅立ちました。

 

面会は自由だったため、私も行ける時に父と一緒に、おばあちゃんの大好きなゼリーを買って一緒に食べたりしていたのですが

危篤になる事もなく、最後に「アイスクリームが食べたい」と言って、アイスクリームを食べたあと少し経って、静かに旅立ったそうです。

 

母方の祖母(北海道)

母方の祖母は、5年前から目が殆ど見えなくなりましたが、自宅で一人暮らしをしていました。

 

3年前に完全に見えなくなってからは

近くに住む長男宅で世話になり、一ヶ月のうち10日は、老人ホームへショートステイをして

なるべく長男の嫁に迷惑をかけないようにする気遣いができるほどしっかりしていました

 

しかし、今年の夏ごろ、私の母親が祖母宅へ介護をしに行き、終活の手伝いでいらないものを処分したりしていたところ父親の母親が亡くなり、急に東京へ帰らなければいけなくなりました

 

その事で、色々とがっくしきてしまったようで

 

私の両親が帰ったあとすぐに、体調を崩し入院…そのまま病院で、これまた最後にゼリーを食べたあと、危篤にならず静かに永眠しました。

 

北海道でも病院によりますが、祖母の病院は未だにコロナ対策として

実子であろうと、危篤時以外の面会は

オンラインのみでした

 

そのため、誰も会えないまま衰弱し、そのまま息を引き取りました。

 

二人共家族葬

父方の母方両方ともに家族葬で、親族のみに連絡をして、香典も何もいらないし、来なくてよいということにしました。

 

祖父母は両方とも、「葬式代」として、長男へお金を渡していたので、子どもの誰もお金を支払うことはありませんでした。

 

父方の祖母(東京)

はじめは、祖母の実子3人+配偶者のみで式を行う予定が、孫と孫の配偶者や子供なども合わせて、15名程度で行いました。

 

お通夜は無しで、お坊さんも呼ばない形、戒名もなしでした。今は、割とこの形のお葬式は多いですね。

 

お墓は、前もって用意してあった場所へ決めました。

 

新聞に名前は載せていません。

 

母方の祖母(北海道)

家族葬で、3人の子供とその配偶者、孫、祖母の兄弟で、15名程度で執り行いました。

 

母方の祖母は10人兄弟の長女だったため、連絡が大変そうで、電話連絡がすぐにはつかない人までいました

 

母方の祖父は11人兄弟の末っ子…

私には母方の叔父叔母だけで20人くらいいるのです(笑)

 

とはいえ、殆どは高齢で、施設や既に他界…または危篤のため、弟が1人だけ配偶者とともに参列してくれました

 

お通夜は無しで、1日葬、おじいちゃんと同じお寺のお坊さんへお願いして、戒名もつけてもらいました。

 

また、新聞に名前や住所、お葬式の日時などを載せました。北海道では、割と載せる方が多いみたいで、新聞の1面は訃報欄でした。

 

葬儀までの過ごし方

これが1番違ったのでびっくりです。

父方の祖母(東京)

葬儀場で預かってもらい、皆で集まっての湯灌は無し。葬儀の日にキレイにしてもらい棺に入れてもらいました。

 

その間会いに行くことはできますが、冷蔵庫に入っています。

 

母方の祖母(北海道)

葬儀場で布団に寝ていました。

 

湯灌のあとは棺に入り、死に化粧をして葬儀場の横にある20畳程度の和室に、ロウソクや線香が置かれていました

 

葬儀までの間、お線香を切らさないように寝ずの番をします😂(とはいえ、蚊取り線香のような12時間燃え続けるお線香があるので、昔々のような大変さはありません)

 

和室には、ジャグジーやテレビまでついたお風呂、寝間着が用意されています。

 

毎日お酒やジュース、珈琲が補充され、飲んだ分だけ支払うシステムもあり、飲み物にもこまらず宴会し放題です。

 

24時間出入り自由で、布団も貸して貰ったので、家の両親は祖母宅ではなく

葬儀までずっと、棺の横に布団を敷いてお線香とロウソク番をしていました。

 

日中は皆で寛ぎながら思い出話をしたりして、棺の周りでワイワイガヤガヤ過ごします😂

 

時には会場の方が、打合せや写真の確認何かをしに来ます。アットホーム過ぎて、ほんとに良い最後の時間を過ごせました。

 

時代に合わないかもしれませんが

うちの両親は現役で勤めていないし

まだ働いている人も、親なら一週間、孫なら3日程度の休みをもらえるため、線香の番など問題ありませんでした。

 

お葬式

父方の祖母(東京)

お坊さんが来ない意外は、普通のお葬式と同じで、これまでの経歴や生前のおばあちゃんの紹介をしました。

 

1人孫が海外に住んでいたため、一分程度ビデオレターが流れました。

 

生前大事にしていたものやお手紙、お花を入れて最後のサヨナラをして、係の人が棺を閉めてくれます。

 

霊柩車で焼き場へ移り、係の人が棺を焼き場に入れてくれたのを見送ったら

お弁当を食べて、お酒やジュースを飲んで待ちます。

 

焼かれたあとは1人、1つ2つの骨を収めたらあとは係の方がやってくれます。

 

喉仏や、形の分かる骨の説明をしてくれました。

 

骨壺へおさめ、長男が持って帰り、解散です。

 

お清めのお塩をもらい、自宅へ入る前に、左足から塩を振ります。

 

母方の祖母(北海道)

一般的なお葬式で、お坊さまが来てお教を唱えてくれました。

 

生前の紹介を司会の方が読み、お花や十円玉、ひ孫からの手紙、お花をいれて、皆で棺の蓋を持ち、閉めます。

 

その後焼き場へ移ります。

 

びっくりしたのは、霊柩車ではなく、一緒にバスの荷物入れに乗せられて焼き場へ向かったことです。

 

一応、おばあちゃんが入っているバスの荷台の上にはロープが張られて

人が座らないようになっていましたが

カルチャーショックでしたね😂

 

霊柩車のプランもあるのかと思うのですが、長男のおじさんはせっかくだから一緒に向かいたいと思ってそう決めたのでしょう😂

 

焼き場では、最後にもう一度顔を見て、長男が棺を焼く場所に入れました。

 

その後、焼き終わるまではお弁当を食べて過ごします。北海道はまだコロナ禍なのか地域柄なのか、会食でのお酒は禁止でした。感染対策だそうです。

 

ちなみに、おじいちゃんの時は、焼いているところを見学できましたが、おばあちゃんの時に見学しようとしたら

 

もうそのサービスは終わってしまったと言われてしまい、見れませんでした💦以前は緩かったんですけどねぇ…ごめんなさいと言われました💦

 

焼かれたあとは皆で、すべての骨を拾います(粉々のやつは拾えず、骨壺代わりの木箱には全部の骨は入りませんでした😨骨壺ではありません)

 

骨を拾っていると、腕が赤くなるほどかなり暑くて、交代交代にトレーへ入れました

 

最後に係の人ができる限り細かい骨を拾って

顔の骨、頭の骨と入れて貰ったあと

喉仏は小さな箱の方へ入れて

2つの箱にして渡してくれました。

 

会場へ戻る際に、塩で手を清めて手を洗います。(自宅へ持ち帰る塩の代わりらしく、お清めはこれで終わりだそうです。誰も家に入る時に塩をかけませんでした)

 

骨になったおばあちゃんに、またお坊さまがお教を読んでくれました。

 

そして、そのあと、おばあちゃんのいなくなったおばあちゃん宅へ移り

皆で宴会です。

 

まとめ

簡単にですがお葬式の違いを書いてみました。東京のほうがかなり簡素な印象ですね💦

 

どちらが良いと、一言で言えないところがまた、難しいところですが、どちらも最期のお別れをちゃんとできて良かったと思っています。

 

母方の方は、私が車で北海道まで従兄弟を含めて連れて行き、家の片付けまで手伝いをする時間までもてたので、母の支えになれたことは良かったなと思います。(かなり忙しかったですが笑)

 

次は親の番だと思うと、今から涙が出そうですが、それまでしっかり親孝行をして

悔いのないようにしていきたいと思います。

 

少し暗い話でしたが最後までお付き合いいただきありがとうございました。